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セーヌ川が汚いと言われるのはなぜ?水質改善プロジェクトとは
2024年7月、パリを流れるセーヌ川での遊泳が解禁されました。1923年に水質汚染により遊泳禁止となって以来、実に102年ぶりです。この歴史的な出来事は、大規模な水質改善プロジェクトの成果といえます。
しかし、なぜセーヌ川はこれほど長期間にわたって汚染されていたのでしょうか。また、どのような取り組みによって水質が改善したのでしょうか。
今回は、セーヌ川の水質汚染の根本的な原因から、パリオリンピックを契機とした大規模な浄化プロジェクト、そして遊泳解禁に至るまでの道のりを詳しく解説します。
目次
セーヌ川の水質汚染の原因は「合流式」の下水道設備
セーヌ川の長期間にわたる水質汚染の最大の原因は、パリ市の下水道システムにありました。現在の下水道整備では雨水と生活排水の配管を分離する「分流式」が主流となっていますが、パリなどの古くからある都市には、雨水と生活排水が混ざり合う「合流式」の下水道が多く残っているのです。
この合流式下水道システムこそが、セーヌ川の水質汚染を引き起こしている根本的な原因でした。
合流式下水道の問題点を理解するためには、まず下水道システムの仕組みから説明する必要があります。そして、なぜパリのような歴史ある都市でこのシステムが採用されたのかも、その背景とともにご紹介します。
下水道には「合流式」と「分流式」2種類の整備方法がある
下水道システムには大きく分けて2つの方式があります。それぞれの特徴と問題点を詳しく見ていきましょう。
合流式下水道のメリット・デメリット
出典:東京都 下水道局「合流式下水道ってなんだろう?」
合流式下水道は、雨水と生活排水(汚水)を同じ管で処理するシステムです。この方式の最大のメリットは建設費用が安いことです。1本の管で済むため、工事が簡単で、初期投資を抑えることができます。
出典:東京都 下水道局「合流式下水道ってなんだろう?」
しかし、このシステムには深刻な問題があります。強い雨の日には、水再生センター(下水処理場)ですべての下水を処理しきれなくなってしまいます。処理能力を超えた場合、汚水が混ざった雨水が川や海へ直接放流されることになる点がデメリットです。
この現象は「合流式下水道越流水」と呼ばれ、河川や海の水質汚染の直接的な原因となります。生活排水に含まれる有機物、病原菌、化学物質などが処理されないまま自然環境に放出されるため、深刻な環境問題を引き起こします*。
分流式下水道のメリット・デメリット
出典:東京都 下水道局「合流式下水道ってなんだろう?」
一方、分流式下水道は、汚水管と雨水管の2本の管を別々に整備する方式です。この方式では、汚水は水再生センターに集められて適切に処理され、雨水のみが川や海へ放流される仕組みになっています。
分流式の最大のメリットは、環境への負荷を大幅に軽減できることです。汚水と雨水が分離されているため、大雨の際も汚水が未処理のまま放流されることがありません。また、雨水は比較的清浄なので、川や海への影響も最小限に抑えられます。
ただし、分流式下水道には建設費用が高いというデメリットもあります。2本の管を整備する必要があるため、合流式と比較して工事費用は約2倍になることが多いです。また、維持管理も複雑になるため、運営コストも高くなります*。
*東京都 下水道局「合流式下水道ってなんだろう?」
合流式下水道が採用されている理由
実は、東京23区の約8割も合流式下水道が採用されています**。これは決して珍しいことではなく、世界の多くの大都市が同様の状況にあります。
合流式下水道が採用された背景には、都市化の速度と経済的な制約があります。一本の管で浸水対策と水洗化を同時に行えるため、早く下水道整備に着手した都市では、この方式が選ばれました。特に戦後復興期の日本では、限られた予算の中で効率的にインフラを整備する必要があったため、合流式が実用的な選択肢だったのです。
日本では1960年代以降、多くの都市で分流式下水道が採用されるようになりました。しかし、すでに合流式で整備された地域の改修は容易ではありません。既存の建物やインフラが密集する都市部では、新たに分流式の管を敷設するのは技術的にも経済的にも難しいのが現実です***。
このような合流式下水道の問題を解決するためには、単なる技術的な改修だけでなく、都市計画全体を見直す必要があるといえるでしょう。
**東京都 水道局「23区の公共下水道の普及状況」
***京都市 上下水道局「なぜ合流式下水道の改善が必要か」
パリオリンピックを機に、パリ市はセーヌ川の水質改善に着手
2024年パリオリンピックの開催決定は、セーヌ川の水質改善にとって大きな転機となりました。トライアスロンの競技会場としてセーヌ川を使用するという計画が発表されると、パリ市は本格的な浄化プロジェクトに着手しました。
この取り組みは単なるイベントのためだけではなく、パリ市民の生活環境向上と持続可能な都市発展を目指す長期的なビジョンの一環として位置づけられました。2300億円以上という巨額の投資をかけて、セーヌ川を遊泳可能な川にするという壮大な構想が打ち出されたのです。
セーヌ川・浄化プロジェクト
セーヌ川の浄化プロジェクトは、複数の大規模工事を組み合わせた総合的な取り組みでした。その中心となったのは、下水システムの全面的な見直しと巨大雨水貯留施設の建設でした。
下水システムの全面改修
プロジェクトの最も重要な要素は、既存の合流式下水道システムの改良でした。完全に分流式に変更することは現実的ではなかったため、パリ市は以下のような対策を実施しました。
- 下水処理能力の大幅向上: 既存の水再生センターの処理能力を増強することで、大雨時でも汚水を適切に処理できるようになりました。
- 管路の整備・修繕: 老朽化した下水管を修繕し、汚水の漏出を防ぐための工事を実施しました。
- 監視システムの導入: リアルタイムで水質を監視し、問題が発生した際に迅速に対応できるシステムを構築しました。
巨大雨水貯留施設の建設
オステルリッツ駅近くに建設された巨大雨水貯留施設は、このプロジェクトの象徴的な施設です。50,000㎥という膨大な貯水量を持つこの施設は、大雨の際に一時的に雨水を貯留し、下水処理システムへの負荷を軽減する役割を果たします****。
上記のようなセーヌ川浄化プロジェクトの実施により、川の水質は段階的に改善されていきました。その効果を実証する最大の試験台となったのが、パリオリンピックでのトライアスロン競技です。
**** SDGsシェア&アクション「セーヌ川を泳げる川に・セーヌ川浄化プロジェクト」
セーヌ川でトライアスロン競技を開催
パリオリンピックにおけるトライアスロン競技は、セーヌ川を会場として実施されましたが、競技開催に至る道のりは決して平坦ではありませんでした。パリ五輪開幕前から、会場であるセーヌ川の水質が大きな懸念材料となっており、それに対して、パリ組織委員会は連日の水質検査や気象条件の厳密な監視を実施しました。
その結果、セーヌ川で男子トライアスロンと女子トライアスロンが開催されることに。この判断は、国際統括団体である世界トライアスロンが定める水質基準をクリアしたことを根拠としています。なお、競技は無事に実施されましたが、参加選手からは厳しい声も上がりました。選手からは「10回嘔吐した」といった体調不良を訴える声や、「水流が強すぎた」といった競技環境への批判が相次ぎました。
しかし、一部で批判があったとしても、100年以上にわたって遊泳禁止だった川で国際競技が実施されたという事実は、セーヌ川浄化プロジェクトの大きな成果として評価されています。
セーヌ川で102年ぶりに遊泳解禁
その後、2025年7月5日、セーヌ川での遊泳が102年ぶりに解禁されました。この歴史的な瞬間は、長年にわたる水質改善の努力が実を結んだ象徴的な出来事といえるでしょう。遊泳が解禁されたのは、セーヌ川に設置された3カ所の指定エリアです*****。これらのエリアは、特に水質が良好で、かつ安全に遊泳できる場所として選定されました。
なお、遊泳解禁に際して、パリ市は厳格な水質管理システムを導入しました。大雨の後は水質が悪化する傾向があることから、以下の要素を総合的に考慮して、遊泳の可否を随時判断しています。
さらに、遊泳解禁は1つの大きな成果ですが、これで終了ではありません。今後、パリ市は、セーヌ川の通年での遊泳や遊泳エリアの拡大などの目標を掲げているようです。
*****Sortir à Paris「パリのセーヌ川で泳げる場所:パリ・プラージュにオープンした3つの水泳場」
セーヌ川の事例を世界中の河川浄化につなげていこう
セーヌ川の浄化プロジェクトは、100年以上にわたる水質汚染問題を解決した画期的な取り組みです。この成功事例は、世界の他の都市にとっても重要な参考となるでしょう。持続可能な都市発展を目指す上で、環境問題への真摯な取り組みがいかに重要かを示しています。
今後、パリの取り組みが、同じ上下水道の課題を持つ日本などの他の都市にも広がり、世界中の河川浄化の動きが拡大することが期待できるといえるでしょう。
水質汚染の原因や影響については、以下の記事も併せてご覧ください。
世界の水資源の現状や取り組みについては、以下の記事も併せてご覧ください